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「蝉しぐれ」と治水

2021年06月22日

        2005年公開 映画「蝉しぐれ」から(東宝配給)

 藤沢周平は大好きな作家です。「用心棒日月抄」や「隠し剣秋風抄」などの名作があり、この隠し剣シリーズは「隠し剣鬼の爪」や「武士の一分」などの映画の原作にもなっています。「蝉しぐれ」もよく知られた作品です。

 藤沢作品でおなじみの海坂藩を舞台に、藩上層部の権力争いに巻き込まれ父親を亡くした少年が、剣の師匠から伝えられた秘剣「村雨」を武器に、父の死の真相を暴き、藩主の愛妾となった幼なじみの女性を守りながら、政敵と戦っていくという小説です。映画では主人公、牧文四郎を市川染五郎(現松本幸四郎)さんが、テレビドラマでは内野聖洋さんが演じていました。どちらもかっこよかったですねー!

 この小説の初めのころに、大雨に襲われた城下を洪水から守るために堤防を切る場面があります。城下町が水にのまれそうになった場合にあらかじめ切る予定になっている場所へ、普請組(今でいうと役所の土木・建築課ですね)の武士と人足が急ぎます。その時文四郎の父助左衛門(緒形拳さんが演じていました)が、農地の被害の少ない場所で土手を切ることを訴えます。これによって、場所を変更して堤防を切開し、城下は守られ、農地の被害も最小限で抑えられました。

 現代の日本では水害を防ぐために堤防を人為的に決壊させることはまず考えられませんが、かつては水防の常套手段でした。また、あえて堤防の高さを左右で変えたり、一部を低くして万一の時にはそこから洪水を誘導するということもありました。

 有名なものには、木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)の堤防の高さの違いがあり、木曽川左岸の堤防が最も高く作られていました。これは尾張徳川家のいる名古屋を優先的に水害から守るためと伝えられています。尾張側(愛知県側)と美濃側(岐阜県側)では高さの差が三尺(約1m)あり、美濃側では水害が頻発したため、輪中提(集落や耕地を洪水から守るためその地域全体を取り囲む堤防)が発達することになりました。

 

 日本水フォーラムの代表理事、竹村公太郎さんは「治水の原則は、洪水の水位を1センチでも2センチでも下げること」と言っています。(東洋経済新報オンライン2019年10月23日付)堤防を切って任意の場所で洪水をおこし、水位を下げることは、古くから広く用いられた効果の高い方法です。しかし社会的強者のために社会的弱者を犠牲にする方法であり、現在では合意の得られない方法である、と指摘しています。

 竹村さんは洪水を防ぐ方法として次の五つを上げ、それぞれに欠点があると言います。

①洪水をある場所で起こし、川の水位を下げる。

 これは上で述べた、任意の場所で洪水を起こす方法です。

②洪水を外に誘導して水位を下げる。

 河川の切り替え、放水路の建設などがこれに当たります。こうすれば水位は間違いなく下がりますが、誘導された地域は洪水の脅威にさらされます。

③川幅を広げて水位を下げる。

 川幅を広げるためには川沿いの土地を必要とし、貴重な土地を犠牲にしなければなりません。

④川底を掘って水位を下げる。

 これは新たな土地を必要とせず、いい方法に思えます。しかし下流部の大規模な浚渫は海からの塩水の逆流を発生させるため、河口部に川を横断する大規模な潮止堰を作らなければなりません。

⑤ダム、遊水地で水をため、水位を下げる。

 極めて効率的な方法ですが、広大な用地を必要とします。また、この方法でメリットがあるのは遠く離れた都市部であり、用地を提供する地元には何のメリットもありません。

 それぞれの方法に効果はあるのですが、どの方法にも欠点があります。つまるところ治水の方法には、こうすればうまくいくという絶対的な解答はないのです。