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堺田の分水嶺

2025年11月07日

 宮城県大崎市から山形県新庄市を結ぶ国道47号線はJR陸羽東線と並行し、奥羽山脈を横断する幹線道路です。宮城県側から行くと、鳴子温泉、中山平温泉を過ぎ、県境にむかって緩やかに登っていきます。松尾芭蕉が「奥の細道」で通ったコースでもあります。県境を過ぎ最上町に入ったところに芭蕉が泊まって「蚤虱馬の尿する枕もと」と詠んだ封人の家があります。国の重要文化財です。

              古川―新庄のルート(地理院地図を編集)

          国道47号線沿いにある「封人の家」

 封人の家の向かいに「堺田の分水嶺」という看板があり、細い道を下りていくとJR堺田駅のそばに小さな池があります。そして写真にあるように「⇦日本海・太平洋⇨」の看板があります。この小さな池からの二つの流れは日本海と太平洋に分かれているのです。

              堺田の分水嶺の池

 分水嶺とは読んで字のごとく、水を分ける嶺です。奥羽山脈は日本海と太平洋を分ける山々の連なりですが、奥羽山脈の東側に降った雨は太平洋に、西側に降った雨は日本海に流れ、決して交わることがありません。この分水嶺(地形学では分水界といいます)の中で嶺ではなく谷が分水界になっているところがあり、これを谷中分水界と呼びます。

 平凡社の地形学辞典によると「谷底にある分水界。谷分水ともいう。ひとつの連続した谷の中で、谷の横断方向にのびる低い高まりが分水界となって、二つの河流が反対方向に流れる場合にいう。河川の争奪などにより生ずる。」となっています。

 谷中分水界は日本全国至る所にあり、珍しいのもではありませんが、ひとつの流れが完全に二つに分かれ太平洋と日本海に流れ出る地形はめったにありません。この地形で有名なものが京都丹波市にある「石生の水分れ(いそうのみわかれ)」です。南への流れは加古川水系高谷川として瀬戸内海へ、北への流れは由良川水系黒井川として日本海へ流出します。現在は水分れ公園の水路が人工的に固定されています。下の地図では、石生駅の南側卍マークと〶マークをつないだあたりが分水界にあたります。とてもここが分水界とは思えない平坦な場所です。

         石生の谷中分水界(地理院地図を編集)

 以前、由良川の流路を地形図で追いかけていて、いつの間にか加古川から瀬戸内海に入ってしまい、「どこで間違えたのかなあ」と何度たどり直しても同じ結果になり、改めて調べて谷中分水界のことを知ったという経験がありました。このあたりの河川流路は非常に複雑です。

 堺田の谷中分水界も、北上川水系大谷川と最上川水系明神川の共通の源流部であり、そこから二つの流れとして分かれています。先ほどの地形学辞典で「河川の争奪などにより生ずる」と書いてありましたが、「河川争奪」はちょっと難しい概念ですので説明が必要です。

「分水界を共有する2本の河川の一方または両方の頭方浸食または側刻によって分水界が低下し、ついには両河川が接触したために、河川高度の高い方の河川が低い方の河川に流入して、前者の流域変更が起こる現象である。争奪した河川を争奪河川と呼び、争奪された河川の上流部を被奪河川、その上流部を奪われ短縮された元の河川の下流部を斬首河川、その争奪地点を争奪の肘とそれぞれ呼ぶ。その肘、つまり斬首河川の上流端に生じた谷中分水界を風隙と呼ぶ。」(鈴木隆介「建設技術者のための地形図読図入門」より)

 この説明でも難しいですが、図を見ると多少わかりやすくなります。二つの川が浸食によって接触し、浸食力の強い川が弱い川の上流部を奪い、奪われた川は流量の少ない細い流れになり、分不相応な平地が残され、そこが谷中分水界になる、という考え方です。

             河川争奪の概念図

 はじめて堺田の分水嶺を見た時には、ここで太平洋と日本海が一つの流れでつながっていることに感動しました。そして、こここそが今河川争奪が起きている現場に違いないと直感しました。大谷川と明神川のどちらか、浸食力の強い川がこの流れを奪取し、数十年か数百年後には、ひとつの流れになり池もなくなる、この池の場所が争奪の肘になると思ったのです。

 で、このことをブログにいつか書こうと思っていたのですが、地形図を改めて見るとどうも腑に落ちないのです。江合川の支流である大谷川は、鳴子の合流点から上流で鳴子峡の深い谷を刻み、堺田の分水界に向かいます。一方の小国川の支流明神川は赤倉温泉の盆地から比較的穏やかに分水界に向かいます。直感的には大谷川の浸食力が強いように感じます。しかし分水界に近づくにつれ深い谷はなくなり、流れは穏やかになります。

       堺田分水嶺付近の地形(地理院地図を編集)

 地形図上で合流点から分水界までの長さと高さの比を計測してみると、概略ですが、大谷川は0.017、明神川は0.019、ほぼ同じかやや明神川の傾斜が急なくらいです。どちらが争奪河川になるか不明です。そして何よりどちらの川も本流は堺田の谷に入る前に北の大柴山(1082m)に向かって曲がっているのです。分水界の池に流れこんでいる沢は、地形図上に現れないか細い流れにすぎません。これでこの分水界で河川争奪が起こるのでしょうか。

 ところで河川争奪は実際に起きていることが現認された現象ではありません。河川争奪の結果できたと考えられている谷中分水界は日本中にありますが、それが起きた現場を見た人はいないのです。古文書で「昨日までの川の流れが今朝になったら別の川になっていた」などというものは確認されていません(たぶん)。つまり河川争奪は、現在の地形から見てこういう現象が起こったと考えると合理的に説明できる、という仮説です。

 自然科学ではこうした仮説にもとづく議論はごく普通であり、地形のような長い時間をかけて出来上がるものにはつきものです。地形学の中でも準平原、先行谷なども同じような概念と言えます。いずれにしても堺田の地形をどう見るか、私にはわからなくなってしまい、ブログのアイデアはしばらくお蔵入りとなったのでした。

 ところが全く別の方向から堺田の分水嶺についての解釈が表れました。それは元産総研研究主幹高橋雅紀先生の「分水嶺の謎」「準平原の謎」「蛇行河川の謎」という3冊のシリーズです(この後も続くようです)。高橋先生は「ブラタモリ」の解説でおなじみですが、地質学者として日本列島の成立について重要な研究をされてきていました。

 私も先生の「東西日本の地質学的境界」以来、論文を読んできて、すごい研究だなあと思いつつ難解でもあり、分かりやすく本にまとめてくれないものか、と期待していたのですが、地形学の方向から研究を発表されるとは驚きました。

 高橋先生の地形の解釈は、デービス(アメリカの地形学者)以来の地形学を根本からひっくり返す画期的なものです。地表地形の形成は河川による浸食を主な営力としている、という私たちが長年親しんできた考え方から、日本では東西圧縮による隆起時の海の営力(波浪による浸食)を主としているという転換です。

 この考えによると、堺田の分水嶺は奥羽山脈が隆起してくるときの海峡の名残であり、谷を作ったのは海の波浪です。堺田の分水嶺だけでなく、奥羽山脈を横断するルートである北上―横手間の巣郷峠、白石―米沢の七ヶ宿峠もみな同じです。

 高橋先生の「峠は海から生まれた(「分水嶺の謎」のキャッチコピー)」という考え方は、まだ地学の世界で一般的に認められたものではありませんし、私自身すっかり納得できているわけでもありません。しかし相当に説得力のある考え方であり、今後地形学―地学の世界で日本列島の主な地形営力が河川なのか海の波浪なのかを巡った議論が起きることは間違いないと思います。

 さて、話は戻って、では堺田の分水嶺―二つに分かれている流れはどうなるか。高橋先生の解釈が正しければ、この流れは何か他の原因(斜面崩壊が起きるとか、断層で動くとか)で変化が起きなければ、このまま継続していくことになります。私にはどうもこちらの方が正しいように思えます。興味のある方は是非本をご覧ください。