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涌谷の金

2026年01月30日

 金の価格が上昇しています。どのくらい上がっているかというと、1980年に4,500円、2020年には6,122円、2024年は11,718円だったものが、2025年12月には25,000円台、今年になるとさらに上がり、1月29日には29,815円と急騰しています(田中貴金属小売価格、円/グラム)。

 金は安全資産と言われ、金融不安や地政学的に不安定な時代に安全な投資先として価格が上昇します。新聞などによると、ウクライナ戦争や中東情勢の危機感、そしてとくにアメリカの政策の不透明性さが現在の金価格高騰の原因だと言われています。

 金需要の高まりとともに世界的にも金の採掘が活発になっているそうです。最近のニュースでは、中国で埋蔵量1,000トンの巨大金鉱床が発見されたと伝えられています。世界での金の生産量は、中国が1位で375トン、2位ロシア313トン、3位オーストラリア296トンで、やはり大陸の国の生産量が圧倒的です(2023年データ)。

 日本の生産量は年間約6トンですが、現在では携帯電話やパソコンに含まれる金や銀をリサイクルして得られる都市鉱山が注目を集めています。日本の都市鉱山の埋蔵量は6,800トンもあるそうです。(国立研究法人物質・材料研究機構より)すごいですね、桁を一つ間違えているのではと思うほどです。

 黄金の国ジパングと呼ばれた日本で現在稼業している金鉱山は、鹿児島県の菱刈鉱山だけで、ここで6トンの金すべてが生産されています。菱刈鉱山の金の含有量は世界的にみても抜群で、平均的な金鉱山の含有量の10倍もあります。

 佐渡の金山もユネスコの世界歴史遺産に登録されたように、歴史的遺物でもはや生産していません。宮城県でも戦後まで稼働していた大谷金山、鹿折金山も閉山しています。宮城県で歴史的に有名なのが涌谷の金です。涌谷町の天平ロマン館では現在でも砂金取り体験ができます。運が良ければちょっぴり砂金がとれるみたいです。

        涌谷町と篦岳の位置(地理院地図を編集)

             涌谷町の黄金山神社

 天平21年(749年)に、日本で初めて涌谷で金が取れ、その金は奈良・東大寺の大仏の造営に使われたと伝わっています。歌人の大伴家持がこれを祝って、「すめろきの みよさかえむと あずまなる みちのくやまに くがねはなさく」と詠んでいます。

 この金は砂金として取れたものですが、砂金がどこからやってきたのか二つの説があります。(「天平の産金地、宮城県篦岳丘陵の砂金と地質の研究史」鈴木舜一2009年より)ひとつは北上山地中の砂金を母体として、篦岳周辺の礫に混じり第三紀の含金礫岩となり、それが風化して砂金になったとする説です。もうひとつは篦岳山近くの大貫金鉱床を母体とする説です。今のところ決定的な証拠はないようですが、大貫鉱床は地質から見て多量の砂金が発生したとは考えられず、上流の北上山地のどこからか流出したものではないか、というのが有力な考えのようです。

 金鉱床には主に鉱脈鉱床と堆積鉱床があります。世界最大の金鉱床は南アフリカのウィットウォーターランドベーズン鉱床で、全世界の金の埋蔵量の46%に相当すると言われています。この鉱床は含金礫岩(金を含んだ礫が固まった岩石)からできていますが、砂金と礫が一緒に固まったとする説と、礫岩の中に熱水作用で金が濃集したという説があるそうです。

 砂金ももともとは金鉱脈が地上に現れ、崩壊や浸食によって鉱脈が崩れ、流水により川の中で凝集したものです。19世紀半ばのアメリカのカリフォルニアゴールドラッシュは、サンフランシスコ(この当時は小さな開拓村だったそうです)近くの小川で小さな金の塊を見つけたところから始まりました。そこに世界中からおよそ30万人が一攫千金をめざして集まりました。金は比重が大変に重く(19.32)そう簡単には流れません。そのため母体である鉱脈の近くの小さな川に集中することが多いのです。では、母体となる金鉱脈はどうやってできるのでしょうか。

 地殻全体の平均的化学組成は下の図のようになっています。

 O(酸素)、Si(ケイ素)、Al(アルミニウム)、Fe(鉄)、Mg(マグネシウム)、Ca(カルシウム)、Na(ナトリウム)、K(カリウム)の8つの元素で重量比98.59%を占め、ほとんどこの8つの元素でできていると言っても過言ではありません。金(Au)は地殻内に広く分布していますが、その存在比は0.003g/1000㎏(0.003ppm)と微量であり、そのままでは採取することができません。この微量な金を凝集するのが熱水です。金だけではなく、有用金属を集め鉱床を作るのは、ほとんど熱水の作用と言っていいでしょう。

 菱刈鉱山は鉱脈型の浅水熱水性金銀鉱床で、金鉱床の典型と言われています。地下深部でマグマ(あるいは冷却中のマグマの残存)によって熱せられ、上昇してくる熱水はさまざまな金属元素を溶かし込み、岩盤中の割れ目に入り冷却され鉱脈を作ります。この鉱脈は石英(二酸化ケイ素)を主として金や銀を含みます。下の写真の白い部分が石英で、黒い部分に金、銀があります。これが繰り返され、厚い鉱脈が出来上がります。

         菱刈鉱山の金鉱石

 金、銀だけでなく、初生的な金属の濃集のためにはマグマの熱が必要です。(縞状鉄鉱層などの例外はあります)つまり、火の気のない地層には金属鉱床はできないのです。

 では涌谷の場合はどうでしょう。ここに火の気はあったのでしょうか。実は涌谷の篦岳(ののだけ)、加護坊山(かごぼうやま)は古い火山です。たぶん地元の人でもこの山が元火山だとは思っていないでしょう。

       JR気仙沼線ののだけ駅付近から見た篦岳

 東北地方には奥羽山脈とその西に点々と火山があります。涌谷から最も近い火山は、泉ヶ岳-船形山連山です。これらの火山は第四紀火山と言われるように、およそ250万年前からの新生代第四紀に活動している火山で、富士山や阿蘇山など現在火山と呼ばれる山はすべてこれです。

 しかし過去の火山活動-マグマに関連した場所は奥羽山脈の東側にもたくさんあります。最大のものは北上山地、阿武隈山地の花崗岩岩体です。これは中生代白亜紀に活動したマグマが地下深部で固化した深成岩で、まだ日本がユーラシア大陸にあったころの痕跡です。このマグマに関連してできた鉱床が釜石鉱山や日立鉱山などであり、気仙沼の大谷、鹿折などの金鉱床です。

 新生代(6600万年前以降)の火山活動は主に北上川、阿武隈川のラインより西側を舞台にしています。これは日本列島が大陸から別れ、現在の位置に移動したころです。当時生まれたばかりの日本海は、地殻が薄くなり、マントルからのマグマが上昇しました。そのためこの地域は、海底火山活動による溶岩、凝灰岩と火山活動の合間に海底に堆積した海成堆積岩(砂岩、泥岩)からできています。このあたりでボーリングをすると、どこを掘っても新生代中新世(およそ2000万年前~1000万年前)の岩石ばっかりです。

 この頃にできたのが秋田県北部の大館市、鹿角市を中心に分布する、花岡鉱山や小坂鉱山に代表される「黒鉱」と呼ばれる鉱床です。「黒鉱」は海底で金属を溶かし込んだ熱水が噴出し、海水で冷却され沈殿してできた鉱床です。中東の紅海ではこうした鉱床が現在進行形でできつつあります。紅海もまたアフリカプレートとアラビアプレートが分裂してできている(現在も広がっている)海だからです。

 東北地方の太平洋側では、少ないながらも点々と新生代漸新世から中新世の火山活動の痕跡があります。北から言うと、下北半島中軸部の山々(吹越烏帽子など)、宮古市の浄土ヶ浜の流紋岩、宮城県名取市の垂水ダム周辺の山、福島県霊山、茨城県の加波山(筑波山は白亜紀の斑レイ岩)など、規模の小さい岩体です。篦岳と加護坊山もこの一連の時代の火山のひとつです。これらの火山岩体は、日本列島が大陸から分かれる直前に活動した火山で、当時の日本の火山フロントを表していると考えられています。(「東西日本の地質学的境界(第七話)」高橋雅紀)

 こうしてみると仙北平野(石巻平野)の高まりの一つに過ぎない篦岳を見る目がぐっと変わってこないでしょうか。日本海分裂時の日本列島―2000万年前の日本がどんな土地だったのか具体的に想像することは難しいですが、その頃この山が火を噴き、溶岩を流していることを思うと不思議な気がしてきます。

 大貫鉱床はおそらくその頃のマグマの熱によって金を濃集してできたものと思われます。ただその量は本格的に稼働し、長期に生産できるほどのものではありませんでした。また、涌谷の砂金が大貫鉱床から出たものかどうか、まだはっきりしないようです。

 天平の時代に思いをはせてみるついでに、さらにこの山が噴煙を上げていた時代までさかのぼってみるのもおもしろいのではないでしょうか。