当ブログで、北上川から始まり、木曽川、信濃川と日本を代表する河川について、地形とその形成史、水害とその対策工事の歴史を書いてきました。それは河川工事が最もわかりやすく土木事業の特徴を表していると考えているからです。
「土木」という言葉の語源は「築土構木」という言葉を略したものです。この言葉は中国の漢の時代に書かれた「淮南子」(えなんじ)から来ています。
「昔、民は湿地に住み、穴倉に暮らしていたから、冬は霜雪、雨露に耐えられず、夏は暑さや蚊、アブに耐えられなかった。そこで聖人が出て土を盛り木材を組んで家屋を作り、棟を低くして雨風を防ぎ、寒暑を避けえた。かくして人々は安心して暮らせるようになった」と書かれています。この「土を盛り、材木を組む」が「築土構木」です。
また、中国には「黄河を治めるものは天下を治める」という言葉がありました。これは中国の伝説上の皇帝・禹(う)が黄河の氾濫をおさめる工事を行い、皇帝になり治水神として祭られたという故事によります。
黄河はアジアで3番目、世界でも6番目の長さを持つ大河川で、日本とは比較にならない規模の水害の歴史を持っています。全長5,464km、流域面積75万4,443km2、日本最長の信濃川の約15倍、流域面積日本一の利根川の約45倍、大陸の川はやっぱり大きいですね。

治水事業の歴史は、古代文明の誕生とともに始まりました。いわゆる4大文明(いまでは4大文明と言わず、10大文明というようですが)は、黄河、ナイル川、インダス川、チグリス・ユーフラテス川という大河のほとりで興りました。
黄河のほとりでは、紀元前5000年頃から農耕が始まり、ヤンシャオ文化、ロンシャン文化を経て、殷・周の古代王朝へ発展したとされています。また、古代メソポタミアでは紀元前4000年頃にはすでに治水と灌漑が始まっていたとされています。
この4つの川の中でも黄河の氾濫は格別です。その原因は黄土高原にあります。黄河の上・中流域にある黄土高原は、およそ250万年前から中国西方にある砂漠地帯で巻き上げられた砂塵が堆積してできたと言われています。その厚さは50m~80m、厚いところでは150mに及ぶシルト質の土壌で、非常に硬いものの、流水に弱く、いったん崩れると粉状になり飛散しやすくなります。春先に日本に飛来する黄砂はここから来ています。
黄土高原の流水とともに大量の黄土が流れ込み、水は黄色に濁っています。これが黄河の名の由来です。黄河の土砂含有量は世界の他の川に比べて圧倒的に高く、流入する海も黄色く濁っています。黄海は、英語でもYellow Seaでそのままの呼び方です。
この黄河が運ぶ土砂はミネラル分が多く、肥沃な土地を作り農耕を支えましたが、一方で大変な暴れ川となりました。河道内に土砂が堆積し、天井川となり、出水のたびに堤防を破壊し、河道を変えていくことを繰り返したのです。黄河下流部の平原では、黄河自体が分水嶺になっているため、黄河に流入する河川はありません。それほど天井川化が進んでいるのです。
下の図は黄河の流路の変遷を表したものです。「故道」とは黄河の昔の流路のことです。禹河故道が最も古く、禹が定めた河道(流路)とされています。漢代の治水家、王景の改修によって定められたのが、東漢故道と呼ばれ(11-1048)、長期にわたって安定していました(図では現代の中国漢字で書かれているのでわかりにくいですが)。ここまではほぼ現在の流路に近く、渤海湾に流れ込んでいました。その後1128年~1855年までは黄河は大きく南に流れ、淮川を通り淮南から黄海に流入するようになりました。ほぼ揚子江(長江)の河口近くまで南下しています。

1855年、黄河は大洪水をおこし北流し、再び渤海湾に流れ込みます。これがほぼ現在の黄河の流路です。黄河は3000年の間に1500回洪水をおこし、26回流路を変えていると言われています。流路を大きく変えた時の氾濫被害の大きさは大変なものだったと思います。
記録に残る黄河の大水害に、1877年と1931年水害があります。なかでも1931年の水害は、黄河、淮河、揚子江が同時に氾濫し、水死とその後のコレラ、チフスなどの伝染病による死者とあわせ200万人から400万人が死亡したとされ、(記録に残る)史上最悪の自然災害と言われています。
黄河はほぼ常に氾濫を起こしていたと言っていいのですが、それは黄河を作っている地形・地質に規定された宿命と言っていいものです。しかし氾濫による被害の大きさは、その時代の政権の安定性にも関わっています。1855年と1877年水害は、太平天国の乱から清朝末期の混乱期にあたります。また、1931年水害時は日中戦争と第一次国共内戦が行われていました。被災者の救護や疫病の防止などに取り組めるような状態ではなかったのでしょう。
「黄河を治めるものは天下を治める」これは土木事業の重要性を示す言葉です。天下を治めるとは、人々の生命と生活を守ることに外なりません。
仕事として土木をやっていると、ともすると毎日のルーティーン作業になり、何のためにやっているのかを忘れてしまいがちです。大きな災害があり、復旧工事があるとまた思い出したりするのですが、私たち土木に関わる技術者は、「幸福の条件」を作っているのだ、という気概を胸に秘めていたいものです。