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「もののけ姫」と真備町水害

2021年05月12日

      たたらを足で踏むアシタカと女性たち(「もののけ姫」より)

 スタジオジブリが1997年に発表した「もののけ姫」は、映画館だけでなくテレビでも何度も放映されているので見た方も多いと思います。中世の日本と思われる世界を舞台として、人間と自然の対立、差別、闘争などを大きなスケールで描いた作品です。

 タタリ神の呪いを受けたアシタカは、村を追われ、旅の末にエボシ様をリーダーとする「タタラ場」にたどり着きます。そこは山の“もののけ”や鉄を狙う侍たちから女たちや(おそらく)ライ病患者たちを守り、タタラによって鉄を作る集落でした。

 この「タタラ場」は、山陰地方の「たたら製鉄」とその集落をモデルにしていると言われています。たたら製鉄は中世から明治時代中期に行われたその当時は唯一の製鉄方法でしたが、近代製鉄に押され、昭和初期には完全に廃止されました。しかし日本刀の製作には、たたらによって作られる玉鋼が欠かせないため、日立金属安来工場が復活させ、現在でも少量ながら操業しています。

 たたら製鉄は、砂鉄を粘土製の炉で木炭を用いて比較的低温で還元し、純度の高い鉄を生産する方法です。この炉に空気を送り込む「ふいご」を「たたら」と呼ぶことから名づけられたそうです。

 材料となる砂鉄は「鉄穴流し(かんなながし)」という手法で、風化した花崗岩(マサ)から採取していました。花崗岩は鉄の含有量で磁鉄鉱系花崗岩とチタン鉄鉱系花崗岩に分類され、山陰地方には磁鉄鉱系花崗岩が多いことが知られています。この磁鉄鉱系の花崗岩から砂鉄を採取し、たたらによる製鉄が行われていたのです。

 風化した花崗岩(マサ)を掘り崩し、流水によって土砂を洗い流し、比重の重い砂鉄だけを取り出すのが鉄穴流しの手法です。中世から明治時代まで盛んにおこなわれた鉄穴流しは、大量の土砂を流下させ、下流域の河床を上昇させ天井川を作り出しました。

 この影響を受けた代表的な河川が、島根県を流れる斐伊川(ひいかわ)です。斐伊川本流は鉄穴流しの土砂により、全国でもまれな天井川になり氾濫を繰り返しました。江戸時代には40~60年ごとに人工的に河道を移動させる「川違え(かわたがえ)」を行って氾濫を防止するとともに、流下した土砂で河口の宍道湖を干拓しました。斐伊川が古代から氾濫を繰り返し、恐れられたことが出雲のヤマタノオロチ伝説につながったという説もあります。

 平成30年西日本豪雨で大きな被害が出た岡山県倉敷市を流れる高梁川も鉄穴流しの影響を受けた川のひとつです。高梁川上流域も鉄穴流しが行われた地域だったのです。

 高梁川では、明治26年の水害で死者・行方不明者423名という大きな被害があり、これをきっかけに明治43年から大正15年にかけて第一期改修工事が行われました。(「北上川についていろいろ」でも書いた第一次治水長期計画の一環として行われたものです)高梁川はそれまで倉敷市で東西二つに分かれて流れていましたが、この改修で東側の派川を締め切り、西派川に統合しています。

 水害を避けるためには、洪水流を早く流出させるために河川を分流するのが一般的な対処方法ですが、高梁川ではなぜわざわざ二つに分流していた河道を一つにしてしまったのでしょうか。下図は倉敷市の標高を色分けして表したものです。青が低く、緑が高いことを示しています。これを見ると東派川が周囲よりも高い、天井川(てんじょうがわ)になっていることが明瞭にわかります。このことが東派川を廃川にした原因です。つまり洪水対策の難しい天井川への対処をやめ、より低い西派川のみで流下させようとしたと考えられます。

 しかし河川勾配の急な高梁川と、緩い小田川の合流点では、高梁川の流量が大きくなれば必ず小田川の水位が急上昇します。このことが平成30年の真備町水害のひとつの要因でした。歴史的な人間の営みが人工的地形改変を生み、のちの住民の生活に大きな影響を与えた一例といえるでしょう。

     国土地理院地図:倉敷市付近の色別標高図(陰影付き)より

 ※「たたら製鉄」についてはhttps://www.youtube.com/watch?v=yvJGmLuhwzs(日立金属-たたら吹き)からご覧になれます。