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「北の国から」と富良野盆地

2021年09月15日

 今年3月24日、俳優の田中邦衛さんが88歳で亡くなりました。田中邦衛さんといえばドラマ「北の国から」の黒板五郎さんです。このドラマは特別編を含めて20年も続き、北海道富良野の大自然の中で、息子(純君―吉岡秀隆さん)と娘(蛍ちゃん―中島朋子さん)の成長を見守る寡黙な父親を演じていました。幼い頃から青春時代にかけての二人の成長と苦悩は本当に身につまされるものがありました。特に別れて去っていく母(石田あゆみさん)の乗った汽車を二人が走って追いかける場面では、泣けて仕方ありませんでした。

 田中邦衛さんが亡くなり、改めてその舞台となった富良野について調べ、感じたことを述べます。

     石狩川流域図(国土交通省水管理国土保全局ホームページより)

 富良野盆地には石狩川の支流・空知川とそのまた支流の富良野川が流れています。(空知川のいかだ下りの場面もありましたね)石狩川は幹線流路長268km(全国第3位)、流域面積14,330m3(全国第2位)の大河川です。大雪山系の石狩岳を源流とし、旭川のある上川盆地に入り、神居古潭の狭窄部を通って石狩平野に出ます。ここで雨竜川、空知川、夕張川などと合流して日本海に注いでいます。

 余談ですが、石狩川は今では日本海に流れていますが、約4万年前の支笏火山の大噴火による大量の火砕流堆積物によって地形が変わる前は、苫小牧付近で太平洋に注いでいたと考えられています。

 石狩川の大支流である空知川は、砂川市で石狩川から分かれ、赤平市、芦別市を通り、空知大滝付近の狭窄部を経て富良野盆地に入ります。さらに富良野市街地付近で空知川と富良野川が別れます。空知川本流は南下して南富良野町を経て、上ホロカメットク山の源流部に至ります。一方富良野川は富良野盆地を北上し、十勝岳の源流部に至ります。

 「北の国から」の舞台となった富良野市麓郷は富良野市街から東に約14km離れた、南富良野連峰の南西山麓にあたります。富良野はこのドラマで全国に知られ、麓郷には五郎さんたちが建てた家がそのまま残り、観光の目玉の一つになっています。

 ところで富良野という地名の語源はアイヌ語の「フラヌイ=臭い水」という意味だそうです。十勝岳から流れてくる硫黄の匂いが原因と言われています。また空知の語源もアイヌ語で「ソラプチ=滝がごちゃごちゃ落ちるところ」という意味で、滝里ダム下流狭窄部にある空知大滝を指しているそうです。空知大滝は滝里ダム建設後に水量が減り、小さな滝にしか見えませんが、かつては空知川最大の難所でした。

 アイヌ民族と鮭の関係は密接であり、空知大滝で鮭の遡上が妨げられたため、富良野盆地にはアイヌ民族は定住していなかったと考えられています。(「富良野百年史」かみふらのの郷土をさぐる会編より)

 富良野の開拓がはじまったのは明治30年(1897年)4月、三重県からの開拓団8名が到着したことに始まりました。富良野盆地北部(富良野川流域)は湿地帯が広がり開拓は思うように進みませんでした。大正6年(1917年)から大正10年(1921年)にかけて、排水溝の掘削と用水路の建設が進み、広大な水田地帯となっていきます。

 開拓が順調に進み始めた大正15年(1926年)5月24日、十勝岳が噴火しました。高温の岩砕なだれが残雪を溶かし、噴火から25分余りで山麓の富良野盆地に泥流が到達し、144名が犠牲となる大災害になりました。これは寒冷地の積雪期に起こる火山噴火の典型的事例と言われています。

 泥流は富良野川の谷を埋め、富良野の低地で氾濫し、泥水の水深は約1mに達しました。ようやく開墾した田畑の多くが酸性の土砂に埋まってしまい、上富良野村では「上富良野を復興すべきか放棄すべきか」という激論が交わされたほどでした。泥土を除去し、客土(きゃくど:他所から土を運び、在来の土の上にのせること)することで農地を再興し、硫黄の影響が薄まり水田が再生したのは昭和8年(1933年)のことで、約7年の歳月を必要としたのでした。

     泥流に覆われた上富良野村(北海道美瑛町ホームページより)

     十勝岳昭和63年噴火(北海道美瑛町ホームページより)

 十勝岳は活発な火山活動を繰り返していて、その後も昭和37年(1962年)、昭和63年から平成元年(1988年から1989年)にも噴火しています。昭和37年の噴火では、硫黄鉱山の宿舎に泊まっていた鉱員5名が吹き飛ばされた石塊の直撃で死亡しています。また昭和63年の噴火では火砕流が発生し、大正15年噴火のような泥流発生が危険視され住民が避難しましたが、幸い死傷者はいませんでした。

 「北の国から」を見ながら「なぜこの家族がこんなに苦労ばっかりしなければならないのか」と作者の倉本聰さんに文句を言いたくなることが何度もありました。しかし、富良野の歴史を見ると、黒板家だけが苦労したわけではありません。北海道開拓の歴史は自然災害との闘いの歴史でもあったのです。

※参考文献「十勝岳1926年噴火と災害の概要」内閣府防災情報