信濃川が最も日本海に近づく大河津から日本海に信濃川を分流するという案は、寛政元年(1789年)、寺泊の豪商、本間屋数右衛門が幕府に願い出たことから始まると伝わっています。おそらく本間屋数右衛門だけでなく、かなりの共通認識であったと想像できます。しかし、水利権をめぐる対立や、莫大な費用のため実現に至りませんでした。
戊辰戦争が終わったばかりの明治2年、白根村の庄屋、田沢与左衛門らが分水工事を請願し、明治新政府はこれを認め、明治3年に第1期大河津分水工事が開始されました。しかしこの時も反対運動と外国人技術者の「信濃川本流への影響が大きすぎる」という勧告で工事は中止され、それに代わる堤防強化の方針が打ち出されます。
大河津から新潟河口までは約55km、分水路の長さは約10kmです。したがって分水路の勾配が急であり、水は本流よりも分水路の方が流れやすくなります。この流れのコントロールが当時の技術では難しい、ということが外国人技術者の勧告の理由です。これはのちの工事で実際に起きてしまいます。それはともかく、明治19年から明治35年まで河川改修と堤防工事が行われましたが、その時に起きたのが前回触れた「横田切れ」水害です。

大河津分水位置図
この洪水被害の大きさから、政府は明治42年から第2期大河津分水工事を開始します。これは大変な難工事となりました。大河津と寺泊海岸との間には、角田山、弥彦山から続く標高100~150mの山地があります。これを掘削するために最新型の動力掘削機と、延べ1,000万人の労働者を投入しました。この工事は「東洋一の大工事」と呼ばれましたが、一方で「お化け帳場」とも呼ばれました。
それは掘削する山が、新第三紀の泥岩でできていて、地すべりを起こしやすいためでした。工事中に3回も地滑りが発生し、特に3回目は、掘削した分水路が埋まってしまうほどの大規模なものでした。
昭和2年(1927年)5月に分水路は完成しますが、その直後の6月24日、川底がえぐられ、自在堰の基礎に空洞ができ陥没してしまいました。そのため信濃川本流の水のほとんどが分水路に流れ込み、下流域に水が流れないという事態が発生します。下流域の住民の生活、農業用水、舟運に甚大な影響が起きました。先に述べた外国人技術者の心配が現実になってしまいました。
この事態に内務省が送り込んだのが、新潟土木出張所長の青山士(あおやまあきら)と主任技官の宮本武之輔(みやもとたけのすけ)です。青山士は、大学卒業後、単身アメリカに渡り、パナマ運河開削工事に従事し、その設計を担当した人です。日本に帰国後は、内務省技師として荒川放水路、鬼怒川改修工事を指揮した、河川工事のエキスパートでした。宮本武之輔も青山士と同じ東京大学土木で廣井勇の門下生であり、内務省技官として青山士の部下として利根川、荒川の改修工事を担当していました。内務省は当時のエース技官二人を陣頭指揮として送り込んだのです。

青山 士
崩落した自在堰を取り除き、新たに可動席を建設する工事が始まりました。1930年8月30日に豪雨のため洪水の危機が迫り、宮本武之輔は下流の洪水を防ぐため、仮締め切り堤を独断で破壊するという事態もありましたが、工事を遅らせることなく、1931年6月30日に可動堰工事が完成。ついに大河津分水は構想から140年の時を経て完成したのです。
さらに大河津分水路の後には、関谷分水路、加治川放水路、新発田川放水路など数多くの排水路が作られました。これらの分流施設によって、新潟平野は現在の穀倉地帯に姿を変えたのですが、もう一つ大きな役割を果たしているものがあります。それは越後平野各地にある排水機群です。新川河口排水機場、新井郷川排水機場、白根排水機場、親松排水機場など多くの排水機場が、低地に集まってくる水を排水しています。上の4つの排水機場の排水量は毎秒450m3に及び、ほぼ信濃川の平均流量に匹敵しています。

現在の大河津分水

親松排水機場
大河津分水は新潟平野を洪水の危機から救い、穀倉としての繁栄をもたらしましたが、一方で信濃川からの土砂の供給が減少し、新潟河口部での海岸の後退という事態も引き起こしています。明治時代から現在まで約350mの海岸の後退が見られます。これに対して、離岸堤、人工リーフ、潜堤の設置工事や人工的な砂の供給が行われています。
千曲川水害の要因となってきた立ヶ花、戸狩の狭窄部を掘削し、川幅を広げ、遊水地を作る工事がすでに始まっていますが、これも下流への影響を考慮しながら進めなければなりません。これひとつですべてがうまくいく、という対策はありません。信濃川とその水害と戦ってきた歴史を見ると、ひとつの水系をバランスよく整備し、住民の命と生活を守ることは本当に難しく、しかし大事な事業だと感じさせられます。
※この項の主な参考文献
信濃川自由大学 平成19年度公開講座「信濃川のルーツを探る~信濃川がつくった越後平野」
亀田郷農業水利建設所「芦沼略記」
丸山岩三「寛保2年の千曲川水害に関する研究」
国土交通省北陸地方整備局千曲川河川事務所ホームページ
同信濃川河川事務所ホームページ