TEL 022-372-7656

北上川についていろいろ(1)

2020年08月12日

「やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けと如くに」

 故郷岩手をしのぶ石川啄木の切ない気持ちが伝わる抒情的な歌です。

 宮沢賢治にとってもやはり北上川は故郷を象徴するものだったと思われます。北上川の河岸の露頭に「イギリス海岸」と名付けて、親しんでいました。

 北上川は、岩手県民にとっても宮城県民にとっても母なる川といっていい身近な河川です。様々な自然の恵みや農業用水などをもたらしてくれる一方で、いく度となく氾濫を繰り返し大きな災害を起こす川でもありました。

 河川に限らず、どう自然と人の暮らしに折り合いをつけて共存していくのかが私たち土木にかかわる技術者の課題です。私たちに最も身近な大河川である北上川が、そもそもどのような特徴を持った川なのか、治水を中心にして考えてみたいと思います。

 東北地方には、東から北上山地、阿武隈山地、中央に奥羽山脈、西に出羽山地という南北に連なる3列の山地があり、奥羽山脈の東側に盛岡-仙台-福島と連なる低地帯があり、西側に横手-新庄-山形-米沢の盆地列があります。これは日本海溝で沈み込む太平洋プレートが東北地方を東西に圧縮し、しわが寄った状態になっているからです。

        東北地方中部の地形と地下構造「日本の自然2 東北」岩波書店より

 北上山地、阿武隈山地は日本列島がアジア大陸から分裂したときにそのまま陸塊として存在し、海に没することがありませんでした。一方、奥羽山脈や、出羽山地は分裂によって生まれた日本海の堆積物や海底火山の噴出物が隆起して出来上がった山地と、その後その上に噴出した第4紀火山群によって出来上がっています。そのため、形成した年代が大きく違い、北上山地、阿武隈山地は古生代から中生代の硬い地層、奥羽山脈、出羽山地は新生代、特に中新世以降のやわらかい地層から概ねでき上っています。

 北上川はこの硬い北上山地と軟らかい奥羽山脈の間を南北に流れています。このことが北上川(特に岩手県にある上流部)の性格を特徴づけています。岩手県を流れる北上川は、北上山地側に押されて流れています。これは、奥羽山脈が軟らかい、つまり浸食されやすく、大量に土砂を供給するため、その土砂によって東側に押し出されているからです。胆沢川、和賀川、豊沢川などの奥羽山脈から流れる支流は扇状地群を形成し、特に胆沢扇状地は日本でも最大規模の扇状地となっています。

      北上盆地の地形分類「日本の自然2 東北」岩波書店より

 北上川は大きく二つに分けられます。岩手県側の上流部と宮城県側の下流部です。その境にあるのが、岩手県一関市の狐禅寺から宮城県登米市の錦織までの狭窄部です。この区間は、北上川は古生代の硬い堆積岩層を穿入して流れているため、広い河岸を作ることができず、狭く切り立った河岸となっています。

 金成の丘陵部のほうが軟質の岩盤なので、狐禅寺で東に曲がらずそのまま南下した方が流れとしては自然な気がしますがそうなっていません。これについては、古い時代からの先行谷があったとする説や、断層谷とする説、南西方向の地盤の隆起により流路が移動したという説など諸説がありますがはっきりしません。

 それはともあれ、この狭窄部が北上川上流部、特に一関地方の洪水の大きな要因となっています。一方でこの狭窄部を抜けた北上川は、仙北平野(石巻平野)を河口に向けてゆったりと流れていきます。東和町錦織付近の河床標高は10mになりません。北上川は全体としても傾斜の緩い河川ですが、特にこの部分の傾斜は少なく広い蛇行原を作っています。これが北上川下流域の災害の要因となっています。