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忘れることについて(1)

2019年09月09日

  しばらく前のことになりますが、1月に河北新報社と東北地域づくり協会の共催した「復興を支えるインフラ整備」という講演会に行ってきました。その基調講演で日本河川協会の大西専務理事から次のようなお話がありました。
 「社会資本には逃れられない宿命がある。完成直後にはとても喜ばれるが、10年もたつと、前からあったよね、で終わってしまう。堤防やダム、水門などは機能不全になってもすぐに困るわけではなく、100年に1回、50年に1回といった確率論で作られているため、本当に機能を発揮し、必要とされる機会は少ない。すなわち忘れ去られる運命にある」
 そういうわけなので、治水事業の必要性をわかってもらうため、様々な取り組みが必要になる、といったお話でした。
 昨年の西日本豪雨は、毎年のように自然災害が起きている日本でも非常に広い範囲で被害が発生したという大きな意味を持った水害でした。広島県を中心とした土砂災害、岡山県倉敷市真備町での堤防の決壊による浸水、冠水被害、愛媛県肱川流域での氾濫などが大きな被害として注目されましたが、それ以外でも同時多発的に多くの地域で被害が起き、死者224名、行方不明者8名という平成最大の水害となりました。

             岡山県倉敷市真備町での浸水被害


 被害の大きさだけでなく注目されたのは、「過去に例がないほどの豪雨、命の危険がある大雨になる可能性が大きい」と気象庁が事前にアナウンスし、各自治体が避難勧告、指示を出しながら、実際に避難したのは約1割、実に9割の人が避難しなかったという事実です。(平成31年2月8日内閣府発表「平成30年7月豪雨を踏まえた避難に関する取組」より)
 また、真備町の浸水被害エリアは事前に公表されていたハザードマップとほぼ正確に一致していたことが知られています。これは他の被災地も同様ですが、真備町の住民を対象にした災害後のアンケート調査によると、75%の人はハザードマップの存在を知っていましたが、その内容を知っていた人は24%にとどまっています。また、洪水の可能性のある低地居住者の多くが洪水の危険性を認知していなかったという結果が示されています。そして非難しなかった理由として、27%の人が「2階に逃げれば大丈夫だと思った」、33%の人が「これまで災害を経験したことがないから」を上げています。
 こうした行動を「正常性バイアス」と心理学では呼ぶそうです。
 「被害に巻き込まれることが予想される事態に直面しても、人は日常生活の延長上と認識してしまいがち。都合の悪い情報を見過ごすなど【自分だけは大丈夫】と思い込んでしまう傾向がある」(令和1年8月16日付産経新聞、東京女子大学の広瀬弘忠名誉教授)
 これについてもう一つ注目したいレポートがあります。(平成30年8月31日ウェザーニュース社発表)
 平成30年8月17日~20日にウェザーニュース社が調査したアンケートによると、過去、避難場所に避難したことが「ある」と回答した割合は全体で5%だった。各都道府県別でみると非難経験率は、1位熊本県、2位宮城県となっており、熊本地震、東日本大震災の経験がうかがえる結果となっています。

          ウェザーニュース社発表「減災2018」より

 災害が起きるたびに「今までこんな災害がここで起きたことはなかった」という声が聞かれます。それは災害の再来期間が一般的に人の一生よりも長いためです。そして以前の災害は忘れ去られているのです。ここで最初の話に戻りますが、治水事業の必要性は、西日本豪雨の被災地の方たちは痛切に感じられているでしょう。しかし、それは防災事業の進展と時間の経過とともにやがて薄れ、忘れ去られる可能性があります。
 人が生きていくうえで【忘れること】は相当に大事なことです。昔々の恨みつらみをすべて覚えていたら、生きにくくて仕方ありません。ただし、防災という面では、忘れることは大変に危険なことです。いかに災害の記憶を残していくのか、阪神地震や東日本大震災での記憶の伝承の重要性が強く訴えられているのもこうしたことがあるからです。