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火山についていろいろ(2)火山の分布

2022年11月18日

 「世界で一番高い火山は?」という質問への答えは、チリとアルゼンチンの国境にある「オホス・デル・サルート山」で、標高6,893mだそうです。この山の名前を聞いても、ほとんどの人は「?」となると思います。私も「?」です。標高の高い火山の多くはアンデス山脈にありますが、そもそも高い基盤の上に噴出しているので、高いのは当然です。

 世界で最も大きな火山といわれるのがハワイ島で、マウナケア(4,205m)、マウナロア(4,169m)の二つの火山がありますが、太平洋の海底から立ち上がっているので、その高さは10,000m以上にもなる巨大な火山です。

 世界中にはたくさんの火山があるのですが、その分布にはずいぶん偏りがあります。下図は世界の火山の分布を示した図ですが、その多くはプレート境界に存在しています。まず、太平洋を取り囲む環太平洋火山帯といわれる火山列です。これはプレート収束帯と呼ばれる海洋プレート(主に太平洋プレート)が、陸側プレートに沈み込む海溝に沿った地域です。

           世界の主な火山の分布(気象庁より)

 もう一つの火山の連なりが、太平洋からインド洋、大西洋に連なる中央海嶺です。海嶺では上部マントルから直接マグマが噴き出し、プレートが生成されています。ここは火山の連なりというより、海嶺自体がひとつながりの火山ということができます。

 そしてもうひとつは、ハワイ諸島やイースター島などの南太平洋の火山島、アメリカのイエローストーンなどのプレート境界から離れた、プレート内部にあるホットスポットと呼ばれる火山群です。

 それぞれの火山の特徴を見ていきます。

 日本やインドネシア、アンデス山地などのプレート収束帯では、沈み込んでいく海洋プレートの岩石が、一定の深度に到達すると融解し、マグマになります。地中の温度は深くなるにしたがって高温になりますが、同時に高い圧力を受けます。地下の温度は水がない場合は岩石が解け始める温度になりませんが、水があると比較的浅い温度で溶け始めます。この岩石が溶け、マグマができ始める深度は、日本の地下では概ね110km付近であり、海溝軸とほぼ平行になります。これを火山フロントと呼び、多くの火山がこの火山フロント上に分布します。

 中央海嶺は、海洋プレートが生まれ、離れていくところです。これをプレート発散境界と呼びます。離れていくプレートの隙間を埋めるため、上昇してくるマントルの一部が圧力の減少によって融解しマグマになります。マントルはカンラン岩からできており、マグマはすべて初生的マグマである玄武岩質マグマとなります。

 中央海嶺は海底下に延々と数千kmにわたって続く火山の連なりですが、海面上にある火山とはずいぶん違います。私たちが火山といってイメージするのは、まさに「火の山」、真っ赤な火を噴き高々と噴煙を上げる桜島のような山です。

 しかし中央海嶺は、海面下2,000~3,000mの高い水圧下にあるため噴火をしません。ただひたすらゴロゴロとした溶岩を生み出し続けるだけです。ニョロニョロと黒い燃えカスが出てくるへび花火をイメージするといいかもしれません。しかしこの溶岩の量は莫大であり、この溶岩が海洋プレートを作り出しています。

 海溝沿いの火山、海嶺の火山はどちらもプレート境界に沿って(海嶺はプレート境界そのもの)火山列としてありますが、プレートと無関係に存在しているのがホットスポット火山です。

 世界最大の火山といわれるハワイ島は、ハワイ―天皇海山列として有名ですが、中生代から現在の位置で火山活動を続けていると考えられます。最も北のカムチャッカ半島付近にある明治海山は、約8,200万年前に噴出した火山島と言われています。さらに古い海山はカムチャッカ海溝から沈み込みその姿を見ることはできません。

 このホットスポット火山については、次回詳しく説明します。

             ハワイ-天皇海山列


火山についていろいろ(1)フンガトンガの噴火

2022年10月11日

 「地震、カミナリ、火事、おやじ」、身近にある怖いものの例として昔から伝わることわざです。この最後の「おやじ」について、昔の家父長制度下では本当に父親は怖かった、と言われますが、いくら昔でも自然災害に匹敵するほどではなかったでしょう。語呂合わせ(7・5音にするため)にちょうど良かったのではないでしょうか。「地震、カミナリ、洪水、津波」では本当に怖くて面白みがないですよね。

 自然災害には、地震や雷(による火事も含め)、豪雨による氾濫、土砂崩れ、土石流、風雪災害、津波などの他に火山災害があります。日本の自然災害の被害者数を年度別にグラフにしたものを見ると、火山災害はあまり多くありません。

        内閣府発表による戦後の災害による死亡者数

 戦後では2014年の御岳山噴火で、山頂付近の登山者63名が死亡、行方不明になったのが最大であり、20世紀以降で見ると1902年(明治35年)に伊豆鳥島で全島民125人が死亡した噴火が最も大きい火山災害でした。同時期の豪雨災害や地震・津波による災害に比べると、頻度も被害者数も桁が違っています。

 桜島や伊豆大島など、繰り返す起きる噴火に苦しんでいる地域もありますが、いつどこで発生するかわからない洪水や土砂災害と違って、どこで発生するかわかっている場合も少なくありません。したがって1986年(昭和61年)の伊豆大島のように事前に全島避難ということも可能です。また、火山の噴火予知の成功例として平成12年の有珠山噴火が有名です。

     平成12年3月の有珠山噴火(北海道開発局)

 平成12年3月31日に、有珠山西山山麓から大規模なマグマ水蒸気爆発が起き、噴煙は火口上3,500mに達しました。この噴火の前、3月27日から火山性地震が発生し、3月29日には室蘭地方気象台から、近日中に噴火する可能性が高いと緊急火山情報が発令され、壮瞥町、虻田町(当時)、伊達市の周辺3市町では、危険地域に住む住民1万人余りが避難を開始しました。これにより、この噴火による死傷者をゼロにすることができました。

 有珠山が有史以来何度も噴火を繰り返し、被害地域住民に前回、前々回の噴火を経験した人、あるいは年長者から経験を伝聞した人が多かったこと、またハザードマップの作製や、避難訓練が実感を持って行なわれていたことが被害の軽減につながっていました。

 それでは火山災害は相対的に大したことがないかといえば、決してそうではありません。大被害を起こす噴火は他の自然災害に比べて再来期間が長いのです。

 今年1月15日、南太平洋トンガの海底火山「フンガトンガ・フンガハアパイ火山」が噴火し、その様子を撮影した衛星写真が世界を驚かせました。こうした火山噴火の様子が上空から撮影されたのはおそらく初めてであり、私もその巨大さにショックを受けました。噴煙の高さは高度30kmに達し、直径600kmとトンガの全島を覆いました。

         衛星撮影によるトンガフンガ火山の噴火

 さらに世界を驚かせたのは、噴火の衝撃波による津波です。日本の太平洋岸では潮位が最大1m上昇し、人的被害はありませんでしたが、四国で船舶が転覆しました。

 この噴火の火山爆発指数(VEI:これについてはあとで詳しく説明します)は、当初5~6の大規模噴火と推定されていましたが、人的な被害は意外なほど少なかったのです。津波を含めた直接の死者は4名、負傷者は10名ですが、被災者はトンガの全人口の84%にあたる約87,000人となっています。死傷者の少なさは、噴火したのが海底火山であり、付近の島が無人島であったこと、一番近い有人の島まで40Km離れていたことがあげられています。 

 フンガトンガ火山はトンガ海溝で太平洋プレートがインド・オーストラリアプレートの下に沈み込むプレート収束帯にある火山で、日本周辺の火山と同様に形成されています。1月15日の噴火では、噴火の早い段階でカルデラが崩壊し、大量の海水がマグマのある深部に流れ込んだことによる、大型のマグマ水蒸気爆発であったと考えられているようです。

 そのため、爆発の規模からすると発生したはずの火砕流がなく、噴出物が非常に少なく、細粒の火山灰がほとんどを占めるという珍しい噴火だったと言われています。

 とはいえ、本島のトンガタプ島の近くでこれだけの噴火があれば、大変な被害があったでしょう。また、トンガフンガ火山が噴火を起こしたのは約1,000年ぶりと考えられています。住民の記憶も当然なかったでしょう。あらためて、火山噴火には一筋縄ではいかない難しさがあることを示した噴火でもありました。


再度、世代について(2)

2022年08月27日

 スペイン・バルセロナの新石器時代の遺跡(約6,000年前)から、人と犬が一緒に埋葬された墓が見つかっているそうです。日本でも縄文時代中期(約4,000年前)に、人と一緒に埋葬されている遺跡があります。今のようにペットとして飼っていたわけではないでしょうが、深い愛情をもって接していたことは間違いないようです。

 哲学者の西研さんが、フランスの文化人類学者クロード・レヴィ・ストロースの「悲しき熱帯」(構造主義による文化人類学の記念碑的作品と言われています)について、次のように語っていました。

「レヴィ・ストロースの場合、インディオの神話の話をしていたと思ったら、突然ギリシャ・ローマ神話の話になったり、それからいきなり北欧神話の話に飛んだりということを平気でしているんです。全然違ったところの神話を全部結び付けてしゃべってしまうわけですね。これは下手をすると危険なことです。でもぼくには、なぜレヴィ・ストロースがそれをできるのがよく分かる。彼はね「人間は同じ」だと思っているのです。人間性にはすごく深く共通するものがある。その同じ人間性を持つものが、それぞれの状況のもとに生き、考え方や生き方の選択をする。その積み重ねをもとにそれぞれ別の文化を作り上げていく。・・」

(竹田青嗣氏との対談「現象学の刷新を目指して」より)

 私はこの対談を読んで深く考えさせられました。家族に対する愛情、あるいは反対に憎悪や嫉妬といった感情。死後の世界への恐怖、それに対する救いを求める心情、自然への怖れと畏敬の念。こうした感情、感覚は古代から現在までほとんどすべての人間に共通するものだと思います。さまざまな宗教はこれらへの解答として物語れました。

 キリスト教であれイスラム教であれ仏教であれ、広く受け入れられている宗教は、それぞれ違っていても、死後への不安、愛する人を失う悲しみを癒し、平穏に生きていくために何者か=神や仏を信じるものです。こういったことが「深く共通する人間性」であろうと思います。

 こうした共通する人間性の上に、さまざまな時代、文化の中でそれぞれに人間が生きているのですが、この共通する人間性をまず信頼して人を見ていこうとするのか、あるいは国や民族、文化、宗教、あるいは世代などの違いを重視してみていくのか、ということがここでの問題です。もちろんこれはどちらが正しいか間違っているかということではありません。

 処世術的な言い方になりますが、私の拙い経験では、自分が「この人はいい人だなあ」と思っていると、ほとんどの場合相手も私に対していい印象を持ってくれています。また、自分がある人を信頼していれば、相手も職業的な詐欺師や病的な嘘つきでないかぎり、自分を信頼していることがほとんどです。逆に「こいつは嫌なやつだ」と感じていると、概ね相手も私を「いけ好かないやつだ」と思っています。なので、つきあっていって結果的に信頼できないと判断することはありますが、まずは相手のいい面を見、信頼する、好きになってみようとするところから始める方が、私たちが社会で生きていくうえで具合がいいのではないか、と考えています。

 お互いを信頼し、協力し合うことが社会や共同体の発展にとって重要な基礎になることはだれしも認めるところでしょう。もちろん会社にとっても同じです。

 話を「世代について」に戻します。物を売るためには世代による感覚の違いを重視した営業戦略をとることは重要でしょう。また、求人活動においても同様に、求職者の感覚に合致した自社の宣伝を行い、アピールすることが大事だと思います。営業マン氏のいうこともよく理解できます。

 しかし世代による違いを強調し、互いに理解しあえないような壁を作ってしまうのは決してよいことだとは思われません。それよりも、何がお互いの感覚の違いを生み出しているのかを理解しようとすることの方がはるかに重要だし、有益ではないかと思っています。


再度、世代について(1)

2022年08月02日

 しばらく前になりますが、「世代について」という文章で、いつの時代でも自分たちより後の世代はしっかりしていないとか、だめだとか批判するけれども、結局それは繰り返しで、どの世代の人も年齢を重ねるごとに成長していく、と書きました。この「世代論」についてもう少し考えてみます。というのも、先日ある求人サイトの営業マンと話していて考えさせられることがあったからです。

 営業マン氏が言うには、今の若い世代にはミレニアル世代(1980年~1995年に生まれた世代)とZ世代(1996年~2015年に生まれた世代)があり、それぞれ違った感性がある。ターゲットとする世代によって求人情報の出し方が変わってくるということです。ミレニアル世代はインターネット環境が飛躍的に進んだ時代に成長し、Z世代はデジタルが当たり前の、デジタルネイティブな世代だそうです。営業マン氏はちょうどその中間くらいの年齢でしょうか。

 という説明を延々と聞いていて、ついつい「人ってそんなに違うものかなあ。例えば古代ローマ人だって慣れれば今の世界で生きていけると思うよ」と言ってしまいました。

 すると営業マン氏は、ちょっとムッとして「失礼ですけど、それでは江戸時代の人のように切腹できますか?」

 私「それはできないね」

 というわけで、営業マン氏の説明をおとなしく聞きました。でもね・・、やっぱりこういう風に人を世代で区分けすることには、何か腑に落ちないところがあるのです。

 営業という立場からは、いかに商品に興味を持たせ、購買意欲を掻き立てるのかが勝負になるので、その時代の感覚にマッチした「キャッチコピー」を作ることが極めて大事になると思います。その意味で思い出されるのが西武百貨店の「おいしい生活」というコピーです。これはコピーライターの糸井重里さんが作った1980年代を代表する広告でした。私はいたって流行に疎い人間ですが、この言葉はよく覚えています。

   西武百貨店のポスター「おいしい生活」

 Wikipediaの解説によると「衣食住にとどまらず、余暇生活を含めたあらゆる場面で、物質的・精神的・文化的に豊かな生活を提案する、日本の広告史に画期をもたらした名コピーであった」とされています。

 1980年代がどういう時代だったかというと、ひと言でいえば日本が経済的にアメリカに追いついた、円がドルに追いついた時代でした。明治維新以降、西欧に追いつくために努力を重ね、さらに第二次世界大戦の敗北から復興し、追いつけ追い越せと頑張ってきた結果、ついに追いついたと実感できた(錯覚だったのかもしれませんが)時代たっだのです。さらにその後日本はバブル経済の時代に、日本の土地の価格でアメリカ全土を買えると言われるまでになります。こうした「豊かな時代」とその感覚を象徴するのが「おいしい生活」だったのです。

 それぞれの時代には特有の感覚があります。日中戦争から太平洋戦争までの時代、戦争を全否定した昭和20年代、その後の昭和30年代から40年代の高度経済成長期、反転してオイルショック以降の低経済成長時代などなど、それぞれの時代を特徴づけるものは違い、その時代に子供から青春時代を送った人たちの感覚が違うことは十分理解できます。

 とはいえ、同じ時代の人がみな同じ感受性を持っているかといえば、やっぱり人それぞれ違っています。先ほどの「では切腹できますか?」という件でも、江戸時代の人がみんな平気で切腹したわけではありません。切腹は当然武士だけのものであったし、武士であっても切腹することは大変なことだったはずです。

 当たり前のことですが、人はそれぞれ同じような面を持ちながら、違った個性を持っています。どちらの面に目を向けるか、同質性を重視するのか、異質性を重視するのか、そこに見る人の個性が現れます。世代間の違いを強調する人は、人の異質な面を重視しているように感じられます。


地質調査という業種の特徴(3)「人」が財産

2022年07月07日

 「成長できない日本の中小企業など潰してしまえ」と暴論を述べる某外国人経営者がいますが(この意見を読んだときは頭に血が上りました)、中小企業の是非を言う前に、ボーリング業界が中小企業で構成されているのには、それなりの理由があります。

 まずそもそも業種としての規模が小さい。地質調査業の市場としての投資額は、全国地質調査業協会連合会の統計によると国等の公共機関、民間合わせて令和元年度で約740億円です。建設コンサルタント業務にも地質調査が含まれますので、この倍としても1,500億円、多く見ても2,000億円くらいが業界としての規模ではないでしょうか。自動車産業は57兆円、アパレル産業は5兆円と言われますので、その規模の小ささがわかります。また、その消費者は行政と建設業者が主です。地中熱を利用したヒートポンプも徐々に広がっていますし、こうした新たな技術の開発と市場を広げる努力は必要ですが、まだ限定的です。メーカーなどと違って優れた商品を作って消費要求を喚起し、市場を拡大するということが難しい(というよりできない)のです。

 市場規模が小さいわりに範囲が広く、日本全国にわたって実際に技術者がその現場に言って作業する必要があります。事務所にいたり在宅ワークでは仕事にならないのです。したがって事業規模を大きくして全国展開するするよりも、行動範囲を狭くしてそれぞれの地域で業務を行う方が合理的であり、収益性が高まります。また、それぞれの地域に特有の地質に対応した技術を習得しておいた方が有利なことは言うまでもありません。

 もちろん非常に高い技術を持ったボーリング技術者が、難しい現場を施工するために全国から指名を受けて呼ばれるということはあり、それは素晴らしいことなのですが、公共事業の中でベラボーに高い金額で請け負うことはありえないのです。

 大手あるいは中小の元請の調査・コンサルタント会社とボーリングを請負う専門下請け業者という二重構造は、今後も大きく変わることはないと思いますし、それは合理的でもあります。

 話を元に戻します。市場の環境が大変化しない限り、われわれの業界から前澤友作さんのような大金持ちが生まれてくることはおそらくないだろうと思います。もちろんだからと言って優秀な人がいないというわけではありません。この業界に入ってくる人は指向するものが違う人が多いというだけです。一方、血で血を洗う生存競争の中で企業の存続を図っていくことも少ないでしょう。

 会社の資産には、現金などの流動資産、トラックやボーリングマシン、社屋などの固定資産がありますが、実は最大の資産は人、つまり社員です。人=技術者の育成にかかる時間と費用は莫大であり、私たちの事業はほとんど人の要素で出来上がっていると言っても過言ではありません。新たな技術の開発ももちろん大切ですが、技術者=人をいかに育てていくのかということに、私たちが最も力を注いでいかなければならない所以です。

 建設業でもI-construction(アイコンストラクション)やDX(デジタルトランスフォーメーション)による、自動化や効率化が進もうとしています。これらはそれ自体が目的ではなく、少子高齢化に対して、いかに人材を確保し、育成しやすい環境を整えるのかという課題への対応であり、最後はやはり「人」に尽きるのだと思います。