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令和6年新年を迎えて~能登半島地震

2024年01月06日

 令和6年となりました。明けましておめでとうございます。とはいえ大変な新年を迎えることになりました。

 1月1日、能登半島の輪島市、珠洲市を中心に、マグニチュード7.6,最大震度7の地震が襲い、現在わかっているだけでも死者100人、安否不明者212人という甚大な被害が出ています(1月6日現在)。穏やかなお正月を迎えていたはずの人たちが亡くなるなど、胸が痛くなるような状態です。

 道路、電気、水道などのインフラが寸断され、被害状況の全貌さえまだはっきりしていません。支援の手が差しのべられて始めていますが、一刻も早い救援がなされることを願うばかりです。

 正直なところ、地震の第1報を聞いて本当に驚きました。能登半島では2020年ごろから活発な地震活動が続いていましたが、いわゆる群発地震なので、回数は多いが、比較的規模の小さな地震が続き、やがて収束するものとばかり思っていました。また、内陸地震であり、津波を起こすような海域での地殻変動が起こるとも思っていませんでした。

 起こってから改めて半島北部の海岸地形を見ると、逆断層の隆起によってできていることは明瞭なので、こうした地震が起こることは何ら不思議ではなかったのです。

 地震の専門家から様々なコメントが出ています。今後の解析を待たなければなりませんが、やはり心配されるのは東南海地震との関連です。過去の南海トラフ地震の前兆として、西日本での内陸型地震が活発になると指摘されています。安易に関連付けるのは避けなければなりませんが、近いうちに起こると予想されている東海地震、首都直下型地震への備えを忘れることはできません。

 ニュースの映像を見て強く感じることは、古い民家の倒壊が非常に多いことです。1981の耐震設計基準以前に建てられた家は強振動に弱いのです。これは熊本地震でも指摘されたことですが、なかなか民家の耐震構造補強が進んでいません。今後を考えるとぜひ進めなければいけない課題です。

 この地震について多くの報道がなされる中で、イギリスBBCの元東京特派員が以下の記事を配信していました。(1月2日付BBCニュース台北発)

「(能登半島地震で)非常に大きい被害が出ている。それでもこの地震は、このような災害で被害をなるべく少なく抑えようとする日本の、見事な成功物語でもある。(略)

 日本の地震対策の勝利は、1923年の関東大震災と今回の地震による被害を比較すればはっきりする。100年前の震災では、東京の広範囲で多くの建物が崩壊した。欧州式のれんが造りの建物はひとたまりもなかった。

 日本では、強い地震が起きるたびに被害状況の調査をもとに、耐震基準が強化されてきた。特に飛躍的な改善となったのは、1981年施行の「新耐震設計基準」だ。(略)

 その後1995年に阪神・淡路大震災があり、日本はさらに多くの教訓を得た。

 やがて2011年3月11日にマグニチュード9.0の巨大地震が発生した。東京の深度は5だった。

 1923年の地震では東京はぺしゃんこになった。14万人が死亡した。2011年の地震では、東京の高層ビルは激しく揺れ、窓は粉々に割れた。それでも東京で高層ビルが崩れることはなかった。2011年の地震であれほど多くの犠牲者が出たのは、地震の揺れにもまして、それが引き起こした津波によるところが大きかった。

 これほどの地震を経験しながら、もっとひどい被害が出ない国は、地球上では日本以外考えにくい。」

 死者百人規模の被害が出ていて、何が勝利だという方もいると思います。被災者から見れば、傍から見ている人の意見に過ぎないと思うかもしれません。しかし私たちが少しずつ地震災害の克服に向けて進んできていることも事実です。救急対応の技術、マニュアルも東日本大震災以降格段に進み、すでに多くの救急隊、医療部隊が現地で活動しています。

 災害対応に満点ということはありませんが、一方、自然災害で被害ゼロということもありえないのです。

 今はまず被災者の救助、生活支援を行わなければなりません。その後、研究者による今回の地震の解析、今後の地震対応の在り方の検討が進んでいくでしょう。防災、減災にどう取り組むのか、少しでも被災の程度を少なくし、いかに早く救助を行うのか、市民、行政、技術者全体での取り組みが求められます。

 多難といえば、世界に目を向ければいまだにウクライナ戦争の終息のめどは見えず、中東でのイスラエル-パレスチナ紛争が昨年から再発しています。難しい時代になってしまいました。まずは自分たちの生活を守るために、また一年、社員一同頑張っていきたいと思っています。