TEL 022-372-7656

木曽三川

2023年12月01日

      濃尾平野と木曽三川の合流地点(海津市ホームページより)

 前回に続き、またテレビ番組の話から始まるのですが、NHKの「ブラタモリ」が面白くて毎週見ています。「ブラタモリ」は、2016年に国土地理院から、また2017年には日本地質学会から表彰を受けています。地形や地質、その地域の歴史について広く興味を持ってもらうため大きな貢献をしていると評価されています。私たちの業界の人もたくさん見ているようです。

 今年7月1日のテーマは「木曽三川~暴れ川VS人間の激闘の歴史とは」でした。ご覧になった方と木曽三川に詳しい方にはくどい話になるのですが、土木の歴史、地形と災害の関係などについて、いろいろ考えさせられる話題だったので、私なりの感想を述べます。

 現在の木曽川下流域は、木曽川、長良川、揖斐川(いびがわ)の三つの川が分かれて流れていますが、分流工事の前は、合流と分岐を繰り返し、網の目のように流れていました。大雨のたびに氾濫と水害をくりかえし、三川を治める治水事業は何度もおこなわれ、最終的には1887年(明治20年)から1912年(明治42年)のオランダ人技師ヨハネス・デケーレによる三川分流工事でほぼ現在の状態になっています。

 木曽川は流路延長229km、三川を合計した流域面積9,100km2と、長さでは阿武隈川に次いで全国7位、流域面積では北上川に次いで全国5位の大河川です。三つの川の流域は、概ね岐阜県の美濃地方(岐阜県の南部2/3くらい)から長野県の木曽地方を占めています。岐阜県の飛騨地方(北側1/3)は、白川郷をとおる庄川、高山をとおる宮川(富山県に入ると神通川になる)の流域となり、どちらも富山湾に注いでいます。美濃・飛騨の旧国境がほぼ日本海側と太平洋側の分水嶺になっています。

 細かくなりますが、三川まとめてではなく、それぞれの川について少し説明します。

 まず一番西側の揖斐川です。桑名市付近の伊勢湾から大垣市を経由し、養老山地、伊吹山地の東側を流れ、岐阜県と福井県の境にあたる越美山地に至ります。最上流部には日本最大級の徳山ダムがあります。源流部の反対側は、九頭竜川になります。延長121km、流域面積1,840km2で三川のなかでは最小です。

 二番目は長良川、鵜飼いでおなじみですよね。織田信長が安土城を築く前の居城だった岐阜城は、長良川のほとりの金華山にありました。長良川本流は美濃市、郡上市を通り福井、石川、岐阜県境に当たる両白山地の大日岳にいたります。もう少し行くと白山です。延長166km、流域面積は1,985km2です。

 一番大きいのが木曽川です。犬山市で濃尾平野から山の中に入っていきます。美濃加茂市で大支流の飛騨川と別れ、飛騨川はJR高山本線に沿って北上し、御岳山にいたります。一方木曽川本流は中津川市を経て長野県に入ります。島崎藤村の「夜明け前」の「木曽はすべて山のなかである」という木曽谷をとおり鉢盛山に至ります。延長229km、木曽川だけの流域面積5,275km2です。

        木曽三川周辺地形図(国土地理院地図を編集)

 どの川も中部山岳地帯から白山、両白山地と険しい地形と豪雪で知られる地域を源流部としています。そして岐阜県南部の大垣市から海津市で合流し、伊勢湾に流れ込むのですが、濃尾平野の西側、三重県との県境にあたる養老山地沿いに流れています。木曽川、長良川ともに揖斐川に引っ張られるように見えます。

 「ブラタモリ」では、木曽三川が西側、養老山地に寄っていることについて、養老断層の隆起によって濃尾平野側が沈降しているから、と説明していました。下の図は濃尾平野南部の東西方向の断面図です。これを見ると基盤岩が西に行くほど低くなっている、西に傾働していることがわかります。このことによって北の広い範囲の山地から出発した三つの川が濃尾平野を流れ、西側の一番低い場所に集まることになったのです。

        濃尾平野断面図(岐阜県博物館から引用)

 このような断層運動によって沈降し、広い平野を作る場所を堆積盆と呼びます。石狩平野、新潟平野、関東平野、大阪平野などの日本を代表する平野は、いずれも堆積盆の上に出来上がっています。堆積盆は小さな河川の河口部にできるような、川が山から土砂を運び、傾斜の緩くなったところに堆積してできあがった、という平地とは違います。100万年から10万年という単位で、その土地が沈降し続け、土砂が堆積し、非常に厚い堆積層を持った広い平野が出来上がります。

 なぜ沈降し続けるのか、明瞭な形成過程はまだ分かっていませんが、単にそこに養老―桑名―四日市断層系があるから、ということではなく、プレートどうしの関係を含んだ、広い意味でのテクトニックな構造運動の現れ、と考えられています。ともあれ、濃尾平野が西側ほど低くなっているということは、揖斐川側に水害の被害が大きく表れやすい、ということになります。