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土木と建築(つづき)

2023年11月10日

 土木と建築の一番大きな違いは、建築は基本的に一個一個が完結している、ということです。「時空間のコンダクター」が設計した古民家をリフォームした一軒家も、丹下健三が設計した東京都庁も一個の建物として完結しています。リビングとキッチンと寝室、風呂、トイレが別々に設計され、存在しているということは(たぶん)ありません。一つの家族、あるいは一つのチーム(会社であれ公共団体であれ)が一つの建物で生活や生産活動ができるように設計されています。

 一方で橋が単独で完結しているということはありえません。橋はトンネルや盛土、切土、擁壁、ボックスカルバートなど様々な構造物の連続する道路や線路の一部です。また、道路そのものも多くの都市、集落、港、工場などを有機的につなぐ構成要素のひとつと言えます。

 ダムも同様です。ダムはもっとも大きな土木構造物ですが、これも単独で存在するわけではありません。ひとつの河川流域の中で、治水、利水、発電といった目的に応じて、その他の多くの構造物、施設と複雑に関連しながら存在しています。

 治水という面では、堤防、遊水地、水門、樋門などと関連しながら降水量によって氾濫を防ぐために貯水量を管理しています。利水の面でも他の貯水池、取水堰堤、取水路、導水路と結びつき、飲料水、農業用水、工業用水の必要量を満たすため調整されています。特に利水の場合は、他の流域の飲料水、工業用水に導水されることも珍しくありません。

 土木構造物は、単独ではなく、他の多くの構造物、施設と関連して利用、運用されるものです。したがって建設事業も多くは国や公共団体によって、長期にわたる計画の下で発注され、設計、施工も単独ではなく、多くの事業者がかかわることになります。そのため、誰が設計したのかという個人名が残ることはあまりありません。

 先にあげた、廣井勇、田辺朔郎、青山士といった土木史に名前が残る人たちも、彼らが直接設計したわけではなく、発注者として工事全体を指揮した人たちでした。ただ、当時は現在と違って発注側の責任者が数年ごとに移動することは少なく、特に重要な事業は完成するまで担当したのです。信濃川大河津分水では、青山士は当時の内務省新潟土木出張所長(今でいえば北陸整備局長に相当)として工事を指揮し、名を残したのでした。

    現在の信濃川大河津分水(国交省北陸地方整備局信濃川河川事務所ホームページから)

 建築では建築士の考え方、美的センスなどにより、さまざまな意匠(デザイン)が可能です。土地の面積がこのくらいで、何百人の人員が、こういう仕事をできるような建物をこのくらいの予算で作ってほしい、という施主からの要求を満たし、構造計算上問題がなければ、ある程度自由な設計が可能です。また、だからこそ設計コンペによって決定することができるわけです。

 ところが橋梁の設計では、設計者がいくら吊り橋が好きだからと言って長さ20mの径間で吊り橋を作ることは考えられません。橋を架ける場所の地形、地質、径間、交通量、経済性などによって橋の種類はほぼ決定されます。まして、道路や河川堤防の設計にいたっては、道路示方書や河川堤防設計指針などによって決まっており、設計者個人の意匠の入る余地はほとんどありません。こうした要因により、やっぱり建築は土木より目立つし、かっこいいなあ、となるわけです。ちなみに東京芸術大学に建築科はありますが、土木科はありません(当たり前ですが)。

 1977年(平成9年)の河川法改正により、河川環境の整備と保全が位置付けられ、それまでの治水一本やりから、河川の生態系の保全、植生の保護等が河川管理の目的に加わりました。河川の景観も重視され、画一的な設計からもっと柔軟な設計方法が取り入れられつつあります。そもそも河川工事は自然の拡張と見ることができるので、自然本来が持っているシステムに近づいていくともいえるでしょう。

 今後は土木設計も、景観や生態系に配慮した設計、その地域の特性、環境を生かした設計、デザインが求められるようになっていくはずです。とはいえ、建築のように設計者の名前が残っていくかというとそれは違うような気がします。

 地質調査は、土木、建築どちらにも関わっているので、どちらの肩を持つわけではないのですが、どちらかというと日の当たりにくい土木技術者や職人さん(技能者)たちの重要性も知ってほしいなあ、と思ってこんな記事を書きました。

※土木学会誌 vol.89No.5「話の広場~なぜ土木技術者ブルネルは偉大な英国人第2位になったのか?」を参考にしました。