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再度、世代について(2)

2022年08月27日

 スペイン・バルセロナの新石器時代の遺跡(約6,000年前)から、人と犬が一緒に埋葬された墓が見つかっているそうです。日本でも縄文時代中期(約4,000年前)に、人と一緒に埋葬されている遺跡があります。今のようにペットとして飼っていたわけではないでしょうが、深い愛情をもって接していたことは間違いないようです。

 哲学者の西研さんが、フランスの文化人類学者クロード・レヴィ・ストロースの「悲しき熱帯」(構造主義による文化人類学の記念碑的作品と言われています)について、次のように語っていました。

「レヴィ・ストロースの場合、インディオの神話の話をしていたと思ったら、突然ギリシャ・ローマ神話の話になったり、それからいきなり北欧神話の話に飛んだりということを平気でしているんです。全然違ったところの神話を全部結び付けてしゃべってしまうわけですね。これは下手をすると危険なことです。でもぼくには、なぜレヴィ・ストロースがそれをできるのがよく分かる。彼はね「人間は同じ」だと思っているのです。人間性にはすごく深く共通するものがある。その同じ人間性を持つものが、それぞれの状況のもとに生き、考え方や生き方の選択をする。その積み重ねをもとにそれぞれ別の文化を作り上げていく。・・」

(竹田青嗣氏との対談「現象学の刷新を目指して」より)

 私はこの対談を読んで深く考えさせられました。家族に対する愛情、あるいは反対に憎悪や嫉妬といった感情。死後の世界への恐怖、それに対する救いを求める心情、自然への怖れと畏敬の念。こうした感情、感覚は古代から現在までほとんどすべての人間に共通するものだと思います。さまざまな宗教はこれらへの解答として物語れました。

 キリスト教であれイスラム教であれ仏教であれ、広く受け入れられている宗教は、それぞれ違っていても、死後への不安、愛する人を失う悲しみを癒し、平穏に生きていくために何者か=神や仏を信じるものです。こういったことが「深く共通する人間性」であろうと思います。

 こうした共通する人間性の上に、さまざまな時代、文化の中でそれぞれに人間が生きているのですが、この共通する人間性をまず信頼して人を見ていこうとするのか、あるいは国や民族、文化、宗教、あるいは世代などの違いを重視してみていくのか、ということがここでの問題です。もちろんこれはどちらが正しいか間違っているかということではありません。

 処世術的な言い方になりますが、私の拙い経験では、自分が「この人はいい人だなあ」と思っていると、ほとんどの場合相手も私に対していい印象を持ってくれています。また、自分がある人を信頼していれば、相手も職業的な詐欺師や病的な嘘つきでないかぎり、自分を信頼していることがほとんどです。逆に「こいつは嫌なやつだ」と感じていると、概ね相手も私を「いけ好かないやつだ」と思っています。なので、つきあっていって結果的に信頼できないと判断することはありますが、まずは相手のいい面を見、信頼する、好きになってみようとするところから始める方が、私たちが社会で生きていくうえで具合がいいのではないか、と考えています。

 お互いを信頼し、協力し合うことが社会や共同体の発展にとって重要な基礎になることはだれしも認めるところでしょう。もちろん会社にとっても同じです。

 話を「世代について」に戻します。物を売るためには世代による感覚の違いを重視した営業戦略をとることは重要でしょう。また、求人活動においても同様に、求職者の感覚に合致した自社の宣伝を行い、アピールすることが大事だと思います。営業マン氏のいうこともよく理解できます。

 しかし世代による違いを強調し、互いに理解しあえないような壁を作ってしまうのは決してよいことだとは思われません。それよりも、何がお互いの感覚の違いを生み出しているのかを理解しようとすることの方がはるかに重要だし、有益ではないかと思っています。